プレイルームに一人、いや一匹残ったう〜豚は、くんくんと部屋中を嗅ぎ回り鏡を見つけた。

 さっきの女王様もそうであったが、どうやら時間の経過と共にメタモルフォーゼ(身体変化)が進むようだ、この時点で、う〜は臭覚も豚並みに鋭敏になっていた、人間では感ずる事の出来ない鏡の臭いを感ずる事が出来たのだ。

 鏡に写した自分の姿を見て、う〜は愕然となった。

完全に豚だ、パーフェクト、フルマーク、エクセレント、何処から見ても申し分のない完璧な豚である。

 う〜豚はがっくりと床に伏した。

口角から豚のよだれがタラタラと流れ落ち、ニュラニュラと汚らしく床を濡らした。

 そのよだれからは獣特有の臭気が漂っていた。

いったい、なぜこんな事になってしまったんだ、どうしたら元の人間の姿に戻れるんだ。

 う〜豚は必死で事の原因と解決策を考えた。

あ!そうだ、そう言えば今朝みたハンバーガーショップの店員の変なスマイル、そして街を漂う不気味な雰囲気、この怪現象はそれらと何か関係があるのかもしれない。

 う〜豚は窓際に寄ると、鼻先でカーテンを押しのけガラス越しに外の様子を窺った。

表通りには沢山の通行人がいた。

 暫く通りを行き交う人々を見ていると不思議な現象が起こってきた。

最初二本足で歩いていた人々が、ガクッと膝を地面につけ、今度はぺタッと手の平を地面につけ、四つん這いになった、そしてノソノソと歩き出すのである。

そして、這うごとに徐々に姿を変えていく。

 たった今、プレイルームでう〜と女王様に起こった事と同じ現象が通りを歩く人々にも起こっている。

 手足も体も顔も家畜のように形を変えていく。

どのような家畜になるかは人それぞれ異なるようだ。

 牛、馬、羊、豚、ラクダ、犬、ウサギ、等など、およそ考えられる全ての家畜の変身シーンを見る事が出来る。

 とりわけダイナミックな変身をするのは馬であった。

中指が一本、グーンと伸び蹄となり、手首が著しく長く伸び管となる、手首の関節は前膝となり足首の関節は後膝となる。

 顔が伸び、たて髪が生える、鼻息をフンと噴出しヒヒ~ンと嘶きパカパカと駆け出す。

 また、面白いのは犬を散歩に連れている人間であった。

人間が四つん這いになると同時に犬が後足で立ち上がる。

 その後、徐々に容姿が変化していく。

人間が犬に、犬が人間にメタモルフォーゼしていくのである。

 飼い主と飼い犬が同じ時間軸で入れ替わっていく様子はコミカルにさえ思えた。

 人間となった犬は、犬となった人間に首輪をつけると、何事もなかったかのように散歩を続けた。

 これは人間と犬に限った事ではなかった、この一連の人間と家畜の入れ替わりは、まるで何かの指揮下で行われているかのごとく、極めてスムーズに秩序を持って粛々と進行していた。

 う〜は思った、これは神の鉄槌であると。

親が子を虐待する、子が親を殺す、正義という名目で行われる大量虐殺は時代が変わっても地球上の何処かで行われている、消費主義による環境破壊、金権主義、遊興主義による道徳の乱れた社会。

 優れた頭脳を与えたのにも係わらず地球を滅茶苦茶にした人類に対し激怒した神は、従順で献身的な家畜に地球の未来を託したのだ。

 人間と家畜の立場は入れ替わった、これから人間は家畜として生まれ変わり、人間として生まれ変わった家畜に使役する事になるのである。

 や、止めてくれ、こんな光景は見たくない。

う〜豚は手で目を隠そうとしたが、人間のように器用に動く事の出来ない手は目を隠す事が出来ない、もっともな事である、それはもはや手ではなく前足なのだから。

 小さな目の小さな瞼を必死に閉じるう〜、人間らなら涙を流すのだろうが、豚だから泣くことも出来ない。

 窓際から離れるとしょんぼりとうな垂れた。

しかし、ここで一つの疑問が浮んだ。

 家畜に姿を変えられた人間たちは何故パニックを起こさないのだろう?

皆、自暴自棄になり暴れまわるはずだ、飼い犬になってしまった人間は立場の入れ替わりに腹が立ち飼い主に噛み付くであろう、そんな事は一切起きず、まるで軍隊の行進のように粛々と事が進むのは何故だ?

 う〜豚は考え込んだ、そして、暫くすると何か考えが付いたのであろう、ブ〜と鼻を鳴らした。

そうか、分かった!

皆、脳も家畜の脳になってしまったんだ、姿と同じように脳も変化したのだ、もはや人間のように思考するという事が出来なくなってしまった彼らに出来る事は、飼い主である人間に素直に従う事だけなんだ。

にもかかわらず、僕が思考を巡らせる事が出来るのは、何故だ?

それは元々、心の一部が家畜となっていたからだ。

人間が家畜に家畜が人間になったのだから、僕の脳の殆んどは豚になってしまった、しかし、以前より家畜化していた前頭葉の一部分は逆に人間の脳へと変化したのだ。

だから、姿形も言語も豚となってしまっても、人間としての思考力だけは失わずに済んだのだ。

 原因が分かったなら、次は解決策だ、考えろう〜。

う〜豚は自分自身に命令を出し、必死になって考えた。

 豚というのは殆んど食料の為に飼われる動物、そうでなければ実験用、ペットとして可愛がられる場合もあるだろうが、それは極めて運の良い場合であろう。

 このままウロウロしていれば、何処かの養豚場に連れて行かれ食用の豚として豚舎に放り込まれるのは必至である。

 なんとかしなければ、元の人間の姿に戻れる方法を見つけるにしても時間が掛かる事は明白だ、とりあえず人目の付かない山奥にでも住み着き野豚として生きる道を選ぶしかない。

 そのような結論に達したう〜豚は、意を決し表通りに飛び出した。

「ブイブイブイ!」

 そのまま駆け足で街中を離れ山里に潜入するつもりだ。

その時であった、誰かが後ろからう〜豚のクルッと巻いた小さな尻尾に噛み付いた。

痛ててて、誰だ邪魔する奴は!

 う〜が振り向くと、そこに居たのは先ほど足から血を流しながら逃げていった女王豚であった。

クソー、邪魔するな、お前は養豚所へ行け、俺は逃げるんだ!

「ブギャブギャブギャ!」

 う〜豚は後ろ足で力一杯女王豚を蹴飛ばした。

しかし、それでも女王豚は銜えた尻尾を離さなかった、よほどう〜豚に執着心があるのだろう。

 通りを行く家畜たちは皆、粛々と行進を続けている。

このように喧嘩をしている豚など一匹もいない、目立つ事この上も無い。

 早く何とかしなければ、狂豚病と思われ人間に捕獲され焼却処分にされるかも知れない。

 う〜豚は女王豚を振り払おうと必死で暴れた。

ズル。

 やった、尻尾が抜けた。

う〜豚はここぞと思い、全速力で駆け出そうとした。

 キキー。

急ブレーキの音と共に白いワゴン車がう〜豚の行く手を阻んだ。

遅かった、家畜捕獲車が到着してしまった。

 中から白衣を着た数人の人間がドカドカと降りてきて、う〜豚と女王豚を力ずくで押さえつけた。

 女王豚は最初は興奮して暴れていたが人間に何かを言われると大人しくなり、素直に捕獲車に乗り込んだ。

 家畜である、野生の豚ではないのだ、人間の命令に従う事が擦り込まれているのだろう、う〜豚はそう思った。

 しかし、う〜豚は違っていた、野豚として生きる事を決心していたのである。

人間に対し激しく抵抗した。

 止めろ、離せ、お前らは本当は家畜なんだぞ!

やがて一人の人間が捕獲車の中から注射器を持ち出してきた。

 プツッ。

う〜豚の尻に強力な麻酔薬が打たれた、暫くするとう〜豚は全身の力が抜け、抵抗することが出来なくなり眠るように意識を失ってしまった。

 そして、ストレッチャーのような台にロープでグルグル巻きに縛られ、何処かへ連れて行かれた。 

 どれくらい車で走ったのだろうか、薬の効果が切れ始め、う〜豚は半覚醒状態になっていた。

 ガラガラというストレッチャーの音がこだまのように聞えて来る、天井の蛍光灯が流れるように目に映る、消毒用エタノールの臭いが仄かに漂ってくる。

 長い廊下を駆け、何処かの部屋に運び込まれたう〜豚は備え付けのべッドに移された。

 そして麻酔が切れても暴れださないように厳重にロープで体を縛られた。

「おい、起きろ、目を覚ませ!」

 男の声が大きく耳に響いた。

麻酔薬の効果は完全に切れていた。

 意識ははっきりしているが、体をベッドに縛り付けられているため身動きが出来ない。

う〜豚は自分が何処に運ばれたのか確認すべく僅かに動かす事の出来る首だけを左右に振り室内を見渡した。

 天井には無影灯、白いタイルの壁、数々の薬ビンの並べられた薬棚、ベッドの側には医療用と思われる電子機器が置かれ白衣を着た男が二人立っている。

 手術室か、あるいは何かの生体実験室だろうか。

白衣を着た男の一人が言った。

「お前は誰だ」

 俺は人間だ、う〜という名前がある!

と叫びたいのだが、口からは「ブーブー」という鳴き声しか出す事が出来ない。

もう一人の男が言った。

「先生、駄目です、口を割りません」

「よし、電気ショックでもやってみよう」

 この二人はドクターとアシスタントのようだ。

ドクターはそばに置かれた医療機器から二つの電極を取り上げた。

 アシスタントは手馴れた様子で電極の金属板に導電性のクリームを塗った。

「電圧を1000ボルトにセットしろ」

 ドクターはそう言うと電極をう〜豚の体に押し当てた。

バチッ!と音がし、その後う〜豚の体がブルブルと痙攣した。

「お前は誰だ」

 再びドクターが問うた。

「ブ、ブ、ブイ〜」

 う〜豚の答えは同じだった。

「よし、100ボルト電圧を上げ、もう一度やってみよう」

 その後、3000ボルトまで100ボルトづつ電圧を上げ電気ショックを施したが、う〜豚はただブギャブギャと悲鳴を上げるだけであった。

 ドクターが憔悴したように言った。

「駄目だ、明日、冷水療法を試してみよう、今日は採血をして終わりだ」

 アシスタントはう〜豚の前足の静脈に注射針を刺し、血液サンプルを採取すると、部屋を出て行った。

 一匹残されたう〜豚は考えた。

あいつら、元豚達は俺が人間の思考を持っているという事を知っているのだ、

この広い地球上には俺のように人間の思考力を持ったまま、姿のみ家畜化した人間が他にもいるのだろう。

 今後、人間の頭脳を持った家畜達が集まり反乱を起こす事を懸念し、俺の体で生体実験をしているのだ。

 俺は負けないぞ、どんな事があっても、いつかかならず、元の人間の姿に戻って立場を逆転してやる。

 その後、プロレスラーのような体格の男達が数名部屋に入ってきた、う〜豚は噛み付いたり蹴飛ばしたりして賢明に抵抗したが、一方的な暴力で封じ込められ、鉄格子の付いた薄暗い豚小屋に掘り込まれた。

 これから、この小屋と先ほどの生体研究室との往復がう〜豚の日課になることは容易に予想できた。

 夕刻になると扉の小さな穴から餌が差し込まれた、う〜豚はガツガツと餌を食べると、ゴロリと横になり、眠りについた。

 鉄格子の窓から差し込む月明かりがう〜豚の頬を照らしていた。

 

 一週間後、一人の刑事がSMクラブ家畜市場を訪れた。

「足のお怪我は大丈夫ですか?」

 籐の椅子に腰を下ろした妖艶な女王様は太ももに巻かれた包帯を擦りながら言った。

「はい、痛みはなくなりましたが、傷跡が残らないか心配です」

「まったく、あなたのような美しい女性に噛み付くなんて、本当に信じられない男です、う〜という奴は」

「血液の方はどうでしたか?」

 女王様は心配そうな表情で刑事に問うた。

「血液検査の書類をお持ちしました、エイズや肝炎のウイルスは検出されなかったので、とりあえず安心して良いと思います」

 刑事はそう言いながら背広の内ポケットから取り出した血液検査書を女王様に渡した。

「怪我を負いながら、変質者を取り押さえた、あなたの勇気ある行動に署員一同敬服しております、では失礼します」

 刑事はそう言うと軽く敬礼をして、部屋を出て行こうとした。

女王様は慌てて椅子から立ち上がると、刑事を呼び止めた。

「あ、あの〜刑事さん、あの男は今・・・」

 女王様が気になっている事は、刑事も分かっていた。

「彼は連日厳しいショック療法を受けていますが一向に回復の兆しがありません、隔離病棟の職員も彼にPIGMANというニックネームをつけて厳重に監視しています、もう二度とあなたの前にう〜豚が姿を現す事はないと思いますのでご安心下さい」

妖艶な女王様はそれを聞くと安心したように窓際に寄りカーテンを開き外を眺めた。

通りには沢山の通行人が行き交っていた。

それは、いつもと変わらない街の光景であった。

                                                終わり 

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