例えば、鞭を十分に振るって苦痛を与えて下さる女王様がいらして、当初、満たされていても、今度は針の痛みに興味が沸いてきて針女王様を求めたりする。
また、責めの強度が弱くなると、不完全燃焼になりフェードアウトする。
かと言って根性焼きみたいな事をすれば、責めに耐えられなくなり、ドロップアウトする。

浮気はするわ逃げるわ、で、嫌われるのも最もです。

しかしながら、精神医学用語のマゾヒストの定義に嵌るのは、まさにこのタイプなのです。

サディズムというのは日本語で言えば加虐愛となり、「性対象」に苦痛、虐待を加える事に性の満足が依存するもの、です。
従って相手はあくまで性対象者であり、初めから性対象にならない者に苦痛、虐待を加えても性の満足は得られないのです。
そこで、性対象になりうる人物かどうかが重要な要素であり、相手は誰でも良いというわけではないのです。

対してマゾヒズムというのは精神医学では嗜痛愛(かっつうあい)の一種と定義されておいます。
相手から虐待や加害を受けて性的満足を得るもの、です。

ここで、注目すべきはサディズムは「性対象」と表現しているのに対し、マゾヒズムは「相手」としか表現していない事です。
つまり、苦痛系M男は相手が性対象になりうる人物かどうかが重要な要素ではなく、相手が苦痛を与えてくれる人物かどうかが重要なのです。

だから、苦痛系M男は女王様に対し、横柄だとか、プレイに対し我がままだとか言われてしまうのです。

どうして、このような事が起こるかと言うと、そのルーツが違うからです。

僕が初めて、SMのような行為をしたのは中学生の時で、ベルトで自分の太ももを内出血で紫色になるまで叩きました。
なぜ太ももかというと、自分で力一杯叩けるのは太ももしかなかったからです。
本当に軽い自傷だと思いますが、やがて、性的に成熟する過程で、その自傷と男の有する精通欲求がコラポして苦痛系M男になったと自己分析しています。

ですから、女王様に責めて頂くというのは、自傷の為に他人の力を借りているに過ぎなかったのです。

小説の「女王様とデート」に記されているD女王様とM女王様は、鞭と針を使い、その歪んだ性根を叩き直して下さったのだと、今では回顧しています。

苦痛系M男は、一番明るい未来を持っていると思います。

ただし、我欲を満たしてくれる女王様を追い求めている間は、我欲を満たしてくれる女王様は現れません。

と、偉そうなことを言っても、今でも自分は我欲の塊だと思っています。

いつか必ず、我欲を捨てて・・・・。

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